不登校の次男。保育園時代、小学校低学年。

不登校
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こんにちは、なつこです。
今回は次男の小さい頃を振り返ってみたいと思います。

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次男の小さい頃のお話

保育園時代

次男は生まれて半年ほどで保育園に入園しました。
物心つく前から保育園に行くのが当たり前だったせいか、長男のように行きしぶることは全くありませんでした。
言葉の遅れが少しありましたが、その時点での私は、こちらの言ってることは理解しているし心配するほどの事ではないと思っていました。
運動会のダンス等はなかなか参加し始めるのが時間がかかるようでしたが、本番ではみんなと一緒にできていたので、これも心配はしていませんでした。

長男が学校へ行きしぶったり、宿題をやらずに暴れてる姿を見ては、
「オレはしょうがくせいになったらちゃんとがっこういって、しゅくだいもちゃんとやるんだ!」
年長さんになった次男はよく言ってました。

長男の小さい頃はこちら

保育園登園しぶり、小学校登校しぶりの長男。私を救ってくれた1冊の本

1年生

宣言通り、元気に通い始めました。
ところが、秋くらいから雲行きがあやしくなり始めます。
朝のルーティンの順番にこだわりが強くなりました。
下の娘のお世話もあり「ごはんまだだから、先に着替えちゃって」と言っても、「先に着替えるのは嫌だ!」の一点張りです。
気に入らないことがあると物を投げ暴れ、学校へ行くどころではなくなります。
遅刻が続き、そのうち休むようになり、五月雨登校の始まりでした。
本人は随分後になってから、夏休みの宿題がつらかったと言っていました。

2年生

2年生になり、始めは張り切って通いましたが、だんだんとペースダウンしていきました。
やっと遅刻で行っても、担任から「学校ではなんでもきっちりちゃんとやろうとするのに、どうして朝は遅刻してもいいと思っているのか不思議。」と言われました。
頑張っていこうとした結果が休みではなく遅刻という説明を私がうまくできず、本人もがんばっているのに認めてもらえていないことに気付き、段々と担任が嫌いになっていきました。

この頃、市の教育センターへ相談に行き始めました。
WISC-Ⅳ検査を受けると、凸凹具合から発達障害傾向にあることがわかりました。もっと早く気付くことができたのではないかという自責の念にかられました。
教育センターから通級指導教室を紹介してもらい通うことになりました。
そこは週に1度1時間、1対1の指導です。幸い次男のペースにうまく合わせてくれる先生で、できたことをいつも褒めてくれ、楽しく通うことができました。

3年生

担任が1年生の時の先生になりました。
だからといって順調に行けるようになった訳ではありませんが、次男君のペースで頑張っていきましょうと言ってくださり、少しほっとした気持ちになりました。
図工だけ少し行ってみたり、遠足に参加したり、通級指導教室に行ったりすることができました。
比較的安定して過ごすことができていたと思います。

振り返ってみて

不登校2人目でも受け入れるまでに、意外と時間がかかってたんだなと改めて気付きました。
ただ、長男の時のように叩いてしまったりすることはなく、そこはその時に本当に学んでおいてよかった点です。
学んだことは長男の小さい頃にあります。

保育園登園しぶり、小学校登校しぶりの長男。私を救ってくれた1冊の本



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