不登校だった小学生、中学生、高校生、その後の私

プロフィール
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初めまして、なつこです。
初のブログ投稿にドキドキしておりますが、自己紹介させてください。

私には子どもが3人いますが、私も含めて全員不登校経験ありです。
私の経験をお話しすることで、どなたかに寄り添えたり、なんとか乗り切ろうと思ってくれたらいいなとブログを始めることにしました。

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私の不登校経験

小中学校

まず、私自身ですが、小6の3学期から不登校(あの頃は登校拒否)になりました。
なぜ急に行けなくなったのか、今だにはっきりわかりません。
風邪をひいて何日か休んだあと、学校へ行ったら、友達がなんだかみんな遠くにいるみたいに感じたのは覚えています。

昼間から布団に潜り込み、ひっそりと泣きながら、中学校になったら行けるはずだと思ってました。

最初の中1では1年間の出席日数が12日でした。義務教育なのでそれでももちろん進級できます。
ところが私、中1の勉強を全くしてないのに進級する自分が許せなかったんですね。
「中1をもう1回やる!」と言い出しました。親も先生もびっくりですよね。
当然、ものすごく止められました。でも絶対譲らない私。

留年して新たな気持ちで行くつもりでした。本当に。

そして、2回目の中1の入学式に出席しました。
教室に戻ると、先生が「あなたにはお花の水替えをお願いするわ。」と言いました。
『あー。この先生、花の水替えさせるって毎日来させようとしてるんだな』と気付いた途端に、なぜかその学校への気持ちがさーっと冷めていきました。

すぐに、親が探してくれていた別の中学校に行くことを決めました。

そこは不登校の子達が集まる特殊学級です。
決まった登校時間もなく、授業はテスト前だけ、普段は自分の好きなことをして自由に過ごします。

高校に行きたかった私は、そこに通いながらも勉強しなくてはと思っていました。
そこで、家で取り組んでいたのは進研ゼミと教科書でした。
わかりやすい解説や説明があり、何なら教科書なくてもできる教科もありました。
今はその頃よりずっと進化してますよね。


英語はとにかく聴いて書かないと覚えられなかったので、教科書に沿ったカセットテープをひたすら聞いて、ノートに丸写ししてました。

中2後半くらいから、普通学級の家庭科に参加し始めました。

中3になると、徐々に普通学級のほかの授業にも出始め、2学期から普通学級の生徒になりました。
いよいよ高校入試が始まり、行きたかった県立高に合格しました。

高校

高校の1年間はすごく楽しかったです。
高1の最後に念願の短期留学にも行かせてもらえて充実してました。

高2になってクラス替えがあり、仲がいい子達と離れてしまいました。
またあの、友達が何だか遠くにいるみたいに感じてしまい、再び不登校の始まりです。
特に行きたい大学があるわけでもなく、私にとっての勉強する意味を失っていました。

『じゃあ働こう!』そう思い立ち、百貨店のお中元売り場でバイトを始めました。
働いて遊んで、楽しい日々も始まった気分でした。

そんな気分で、高2の夏休み明けに高校を辞めてしまいました。

フリーター

しばらくフリーターをしていましたが、当時の世の中に少し気付いたんですね。
何の取柄もない中卒の私は正社員にもなれないということ。
才能ある友達は中卒でもどんどん上へいってました。

今度は学歴をどうにかしなきゃともがき始める日々です。
通信制高校の教材を取り寄せて、その大量の教材にすぐ挫折。
違う通信制高校へ行ってすぐ挫折。
その頃に通信制高校まとめサイトがあったら、また違ってたかもです。

『じゃあ大検とって大学へ行こう!』すごいこと思いつきました。(笑)
大検…大学入学資格検定 → 今の高認…高等学校卒業程度認定試験

短大

そこから、猛勉強して大検合格。
さらに猛勉強して短大に合格しました。

保育士になるぞと年下の子達の中でも充実した日々でした。
1年終わろうとした頃の進路相談室で「あなたみたいな歳いった人は就職するの大変だからね。」と言われるまでは。(当時はまだ保育士不足が叫ばれていません)

『保育士の免許を取っても就職できないなら、何の為に学校へ行くの???』
悔しくて泣いて引きこもりました。
またまた恥ずかしながら不登校の始まりです。

休学することにしました。

バイト生活をしながら、自分なりによく考え、また中途半端で辞めてしまったら後悔するだろうなと思いました。
もしも就職できなくても、嫁入り道具だと思って資格を取って卒業しようときめました。
何度呼び出されても、進路相談室には2度と行きませんでしたけどね。

就職

それから、無事、卒業してフリーターをしていましたが、中学校の恩師の紹介で保育士として児童養護施設への就職が決まりました。

そこでは住込みの為、プライベートがほぼないような感覚でした。
やりがいよりも先に心身が悲鳴をあげてしまい、食事の味がしなくなっていました。
休憩時間に実家へ車で戻るのですが、そのままどこかへ車ごと突っ込んでしまいたい気持ちに駆られてもいました。
そんな自分が怖くて運転できなくなりました。

もう不登校とは言えない、引きこもりです。

でも大丈夫です。そんな時は休みましょう。
そう思ってくれる方が大半だと思います。
ところが、自分の事となると全然そう思えなくて焦るばかりでした。
休み続けていても迷惑をかけるだけだと辞めることにしました。

この後、点々と転職しますが、薬局に就職して少し落ち着きました。
何年か働いた後にはこんな私でも、結婚することになり退職しました。

最後に

それにしても、ここまで振り返ってみると、逃げまくりで笑えてきます。(笑)
それでも、ここまで生きてるし、生きててよかったなと思えてます。
長々と読んでくださった方、チラ見してくれた方もありがとうございます。
不登校の行方は紆余曲折ありつつも、私の場合なんとかなってるよというお話でした。
子ども達の不登校話はまた後日お話できたらいいなと思います。

保育園登園しぶり、小学校登校しぶりの長男。私を救ってくれた1冊の本

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